物理のかぎしっぽ 記事ソース/水瓶 の変更点

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 水瓶
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 お盆の支度
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 毎年七月になると祖母はいそいそとお盆の支度をはじめる。
 私はまだ小学校低学年でお盆というものがなんなのかさっぱりわからない。
 でも我が家はお盆でも正月でも五月の連休でも祖父母の実家に帰るということはしなかった。
 なぜなら祖父母と一緒に暮らしていたからだ。
 だからおばあちゃんに会いに夏休みどこそこに帰るというのが羨ましくて仕方がなかった。
 しかも我が家のお盆はどういうわけか七月だった。
 送り火と迎え火というのをやるために小さな緑色のバケツを持ってきて、マッチで火を起こす。
 この日のために割り箸をたくさん用意しておいて細長い竹の棒に火をつける。
 私はいつも花火を期待したのだけれどこのときばかりは違う。
 胡瓜や茄子も馬に見立てて紐で縛って飾っておく。
 鈴虫のためにでも漬物のためにでもなく、ご先祖さまのためにこうしておくのだと、
 祖母はひっそり私に話して聞かせる。
 ご先祖さまがちゃんとおうちに帰ってこられるように迷わないようにこうして祈るんですよと手を合わせるのだ。
 祖母の色が白くてほっそりとした小さな手で私のもっともっと小さな手を包みこむ。
 礼拝を祖母は私に教えてくれる。南無南無と祖母と祈る。
 ご先祖様は幽霊なの?と聞くと違いますよ、もっと崇高なものなんですよという。
 スウコウってなんだろう?気高くてほろ苦いものかしら?
 
 おばあちゃんの直伝
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 祖母は子供の私がわかるようにいつも話をしてくれた。
 私は祖母が大好きだった。父方の祖母はとっても厳しくて私の天然パーマの髪型をとても憎んだけれど、
 一緒に暮らしていたのは母方の祖父母だった。
 祖母は体が弱くて私が気が付いた時にはいつも寝ていた。
 そうして祖父はお医者さまだった。だから祖母のためにいつもビタミン剤の注射をしたり点滴を施したりしていた。
 そんな祖母がお盆だけは楽しみにしていて、ご先祖さまの話をたくさん聞かせてくれたのだ。
 お釈迦様に供える砂団子のお話や自分の名前すら忘れてしまうスリハンドクのお話。
 そして中でも祖母の話で忘れられないのは水瓶の話だった。
 生きるというのは大きな水瓶にたくさん水を汲むようなものだと祖母はいってきかせた。
 つらいことがあっても水を汲み、嬉しいことがあっても水を汲む。
 水瓶はなかなかいっぱいにはならない。人によって水瓶の大きさだって違う。
 そしてその水瓶がいっぱいになって溢れんばかりになったら、
 お迎えがくるのだと祖母は語ってくれた。私は水瓶が怖くて仕方がなかった。
 大事なのは毎日水を汲むこと。決して怠らないこと。
 そんな話が比喩なのだとわかるのはもっともっとずっと後になってからのこと。
 
 落花生の結婚
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 そんな祖母がもう一つ話してきかせたのは落花生だった。
 落花生は二つに割るといっぽうには突起があり、もういっぽうには突起がない。
 突起があるほうをおじいさん落花生と祖母はちょっと照れ臭そうに話す。
 どの落花生もぴったりと合わさっている。
 そんな伴侶を人生において見つけることが結婚なんですよと祖母はこっそり教えてくれた。
 毎年お盆のたびに祖母はそんな小話を私に聞かせてくれては私の成長を見届けてくれた。
 人生の示唆や教訓とまでもいかないけれど、
 普段は寝たきりの祖母がそうして語ってくれるのが何より嬉しくて、
 祖母に気に入ってもらえるように肩を叩いたり、
 祖母の好きな宇治金時のアイスクリームをお米屋さんで買ってきたりして私は祖母の機嫌をとった。
 祖母は嬉しそうな顔をして「今日はせっちゃんが優しくしてくれましたよ」と母に微笑んだ。
 祖母はいつだって敬語を使ってちょっと近寄りがたくて壊れそうなおばあさんだったけれど、
 それでも私は祖母が誰より好きで付きまとってばかりいた。
 特にお盆のころは祖母の誕生日でもあったから、
 祖母と私はとてもゆっくり歩いて駅ビルのお蕎麦やさんまで頑張って坂を登った。
 祖母は何を隠そう力うどんが一番好きだった。
 どうしてそんなものがこのおばあさんに食べられたのだろうと思うのだけれど、
 お餅の入った力うどんをそれは楽しそうにお箸でつついていた。
 
 満月と水瓶と線香花火と
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 そんな祖母が歳をとって本当に寝たきりになってしまったのは私が三十代のときだった。
 今がどこなのか昼夜も逆転してしまって私のことも亡くなった娘だと思っているようだった。
 私の母は時に泣いて時に叱って祖母の看病にくれた。
 近くの大きな丸い玄関灯を満月だと思ってありがたそうに見つめていた。
 祖母が寝付いてからもお盆の習慣だけは大切にしていた。
 お盆のときに私がねだると線香花火をやってくれたのを昨日のように思い出す。
 どちらが先に火の玉が落ちてしまうか祖母と競争したのだ。
 「あのね、おばあちゃん、私の母ももう八十八才になってしまったの。
 あんなに元気だった母が今はおばあちゃんのようにしか歩けないし、
 私だって結婚をしてもう半世紀も生きているわ。帰る家だって見つかったのよ。
 おばあちゃんに真っ白な雪景色を見せてあげたかったな」私は心の中で祖母にそう話しかける。
 私の夫の家では落花生を作っているから、
 祖母の落花生の話を向こうのお母さんにしたらにっこりと微笑んでくれた。
 私はぴったりと合わさった落花生の伴侶を見つけられただろうか?今年も帰省ラッシュがやってくる。
 私にも家庭や新しい家族がある。人はいつだって歴史を紡ぐ。
 祖母が一つ一つ私に話して聞かせてくれた小話は姪っ子や甥っ子に語り継がれ、
 祖母の話はそうしてずっと生きつづけて、母は曽孫たちと一緒に砂団子を作ったり落花生を食べたりしている。
 私の背負っている水瓶はまだまだ余裕がありそうだからしっかり生きなきゃなと、
 お盆が来るたびに一段と気持ちを引き締める。
 祖母を思うとき私はなくしてしまったものをたくさん思い出す。
 また水を汲んで出直そう。いつから始めたって何度やり直したって私の水瓶はおばあちゃん譲りの特製だもの。
 丈夫で長持ちだよね。ご先祖さまに手を合わせるときもう幽霊なんかじゃなくて、
 祖母を思い出せることが何より嬉しい。こうして人は前に進み今日も明日も生きてゆく。
 私はそんな毎日に感謝している。
 
 @@author:きり@@
 @@accept:2019-12-12@@
 @@category:小説@@
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