物理のかぎしっぽ 記事ソース/紺ちゃん

記事ソース/紺ちゃん

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記事ソースの内容

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紺ちゃん
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紺ちゃんとの出会い
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紺ちゃんと最初に出会ったのは私たちが団地に引っ越してから、
月に一度あるお掃除の日だった。紺ちゃんは六十代を越したくらいのおばさんで、
髪はパンチパーマで短く刈り上げており、
カラフルな原色を好むのか黄色いセーターに赤いズボンを履いていた。
いつも白い花柄のエプロンをしていて、忙しそうに立ち回っていた。
まわりの人からの信頼も厚く紺ちゃんを慕う人はたくさんいた。
私は二棟ある団地のうちの自転車置き場を重点的に掃除する係で、
紺ちゃんは花畑の手入れをしていた。
団地の役員をやっているのか、わからないことはなんでも紺ちゃんを尋ねるようにいわれ、
私は紺ちゃんと話をするようになった。最初は無愛想で仏頂面だったのだけれど、
私が新婚で入居したとわかると、途端に満面の笑みを浮かべ、
赤ちゃんの話やこれまで住んでいた場所の話を盛んに聞いてきた。
紺ちゃんは旦那さんとはもう死に別れて、今は娘が三人いる。
子供たちはみんな独立していて、団地には紺ちゃんと孫のミドリさんが住んでいた。
ひょっとしたことから紺ちゃんと仲良くなって、おうちに遊びに行くようになると、
これまで以上に紺ちゃんの魅力に惹きつけられた。
紺ちゃんの旦那さんは新宿の思い出横丁が大好きで、
昼過ぎから飲みに歩き、帰ってくるのはいつも朝。景気のいい人だったけれど、
お酒のせいで紺ちゃんは随分悩まされたのだと懐かしそうに話してくれた。
団地には紺ちゃんの旦那さんといつも飲み歩いた親父さんが何人かいて、
お掃除の時にも懐かしそうに話し込むおばさんたちがいた。

ちらし寿司の思い出
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私はこれまで団地暮らしを戦々恐々という気持ちでちょっと怖れていたのだけれど、
紺ちゃんのおかげでだいぶ噂話や井戸端会議を楽しめるようになった気がする。
団地に若い人は珍しく、私たちはいつも話の種になっていたけれど、
その度に紺ちゃんは私の味方をしてくれた。紺ちゃんの部屋は四階にある。
一番上の階だ。そこからは富士山もよく見える。
昭和六十三年の建物だから新しくはないけれど、
紺ちゃんの部屋のごちゃまぜのものの多い部屋はなんだか懐かしくって、
私は大好きだった。そして紺ちゃんの淹れるお茶もごはんも好きだった。
お茶は遊びに来ている人数分、
パッとお湯を沸かして色とりどりの不揃いのカップに紅茶や緑茶を注ぐ。
台所に立つことをちっとも苦にしてなくて、おなかをすかしていたりすると、
すぐにごはんを食べさせてくれた。春の花見のピクニックの日には紺ちゃんはこの町一番、
期待されていて、大きなお重にちらし寿司を三段、作ってくれた。
お漬物や梅干し、ちょっとしたお惣菜も、
台所仕事の苦手な私のために紺ちゃんはよく差し入れしてくれた。
紺ちゃんは祈るのが大好きな人で、いつも小さな手を合わせて南無と祈っていた。
お数珠をすり合わせるようにガチャガチャいわせるのが独特で、
私は吸いつけられるように見入ってしまった。
紺ちゃんの家と私の家の間取りは一緒のはずなのに、
紺ちゃんの家の方が私ははるかに落ち着けた。
ウチの旦那さんはナイーブなところがあって、人が作ったものがなかなか食べられないから、
最初、紺ちゃんの差し入れに顔をしかめていたけれど、
私が紺ちゃんについて説明を重ねるたびに、安心したのか食べるようになった。
夫もちらし寿司はお気に入りだった。
ちなみに私は春のピクニックの日にはフキノトウの味噌和えをよく持ち込んだ。
最初、ジャーマンポテトにしたら、高齢の人にバターは人気がなく、フキノトウにしたのだ。

犬猿の仲もなんのその
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ところで紺ちゃんの部屋にはふすまに大きな穴があった。
小さな子供が通れるくらいの穴だ。私があれはなんですか?と質問すると、
紺ちゃんが名前を呼んでとある生き物がぬっと出てきた。なんとそれはお猿だった。
お猿は紺ちゃんの肩の上にピョンと飛び乗り、
長い尻尾を紺ちゃんの腕に絡ませて私のことを仕切りにうかがった。
私はしばらく口がきけなかった。団地で大胆不敵にも猿を飼う人なんてなかなかいない。
しかし紺ちゃんは犬と猿を飼っていたのだ。
犬猿の仲じゃないんですか?と質問すると、幼い頃から一緒だからね、
大丈夫なのよといって、なんせ私は動物が好きだから、
あったかいものがそばにいないとダメなのよねと笑った。
お猿はふすまに大きな穴を開け、そこから出入りしては、
いつもいたずらを繰り返していた。トイプードルのハルちゃんは可愛かったけれど、
私はお猿が苦手だった。そのうちに月日が流れて、お猿は死んでしまった。
紺ちゃんもがんを克服したり、お昼は手を抜いて西友のお弁当を買ってきたり、
孫のミドリさんも結婚したりと歳をとってさまざま変化した。
久しぶりに遊びに行くとふすまには大きな花柄の和紙が貼ってある。
紺ちゃん、ふすまは直さないの?と聞くと、もういいんだよ。
それに私はお猿が一番可愛かったからいつでも思い出せるだろといった。
ごちゃまぜで決して洒落てはいない、そんな紺ちゃんの部屋が私は今でも一番の思い出で、
新婚時代の苦しいときは私の逃げ場所だったのだ。
あんな風に人が落ち着ける空間をそっと差し出せる、
お茶淹れの上手なおばさんになりたいなと私は密かに思っている。
ふすまを見るとついつい紺ちゃんを思い出してしまう。

紺ちゃん目指して
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そんな私も今は団地のフラワーロードを整備したり、防災役員をやったりしている。
近所のおばさんたちが怖くて、耳を塞ぐように生きていた日々、
いつでも私の味方をしてくれた紺ちゃんを私は決して忘れない。
紺ちゃんを思い出すたびに私の心にはぽっかり穴があく。
その穴がいつの日か塞がるころには私もすっかりおばあちゃんだろうな。
目立たないようでいて、縁の下の力持ち、
この人はここになくてはならない人というのがいるけれど、紺ちゃんはまさにそんな人だった。
今は私も貧しさを脱して、ウサギを一匹飼っている。
酒好きなのはウチも一緒だ。春になるとちらし寿司を思い出す。
今日も桜が咲いている。紺ちゃん元気かな?

@@author:きり@@
@@accept:2020-01-04@@
@@category:小説@@
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