物理のかぎしっぽ 記事ソース/古典期アテナイの民主政とローマの共和政の共通点と相違点を考察する

記事ソース/古典期アテナイの民主政とローマの共和政の共通点と相違点を考察する

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記事ソースの内容

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古典期アテナイの民主政とローマの共和政の共通点と相違点を考察する
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アテナイ民主制の源流
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古代アテナイから民主主義の源流ははじまった。
民主政治というスタイルをギリシア人が最初に発見し、制度化し、
成年男子市民全員が参政権にあずかり、
国家の重要決定はすべて民会や民主裁判所が多数決をもって下し、
役人の権力は年一回の抽選によって細分化され、僭主政治が行われないよう最大限に注意し、
それは寡頭政治でも専制君主でもない新しいタイプの支配体制としてスタートを切った。
アテナイ民主政を支えたのは主に農民であり、
彼らはかつてペルシャ戦争で二度も戦った海軍力を誇る、下層市民たちだった。
これら自由人の船の漕ぎ手のおかげでアテナイは勝つことができたのだ。
前5世紀までには市民であれば誰でもほとんどの要職につける徹底的な民主政へと変わってゆく。
アテナイは在留外人と女性と奴隷を排除したところで成り立っていたが、
これらの中から名門の出である勇将ペリクレスという計数の才が出てきて、
市民権法をまとめ、アテネ全盛期を誇るまでになった。
市民権法は両親ともアテナイ人でないとアテナイ市民とは認められず、
そのために将軍ペリクレスの子供は母親が外国人であったため、
特例として認可させるなど皮肉な面もあったが、
女性は子供の頃から他人の目に触れることのなきように育ち、まさに箱入り娘だったといえよう。
パルテノン神殿もアクロポリスも、当時で1500万人を超える人々がこぞって建立したと言われ、
ギリシアは多神教であったため、供物や祭儀などが多かったと詩人ヘシオドスも書いている。
ギリシア人はローマ人と違って、賄賂や支配関係を好まず、
僭主があらわれることを常に恐れていた。ペリクレスの前のキモンは陶片追放されており、
貧しい市民でも陪審員として市民の権利が行使できるように裁判員として
報酬を与える制度をペリクレスは設け、民主政への配慮はこのようにして固まっていった。
ペリクレス亡き後は弾劾裁判など行い、デマゴーグなどが現れ、
小ペリクレスも手腕を振るったが、
アテナイの領土拡大を望まぬデロス同盟の国々がペロポネソス戦争を続け、アテナイは降伏した。
世界史の教科書よりも外部から何らかの圧力を受けて
アテナイは崩壊したというべきではないだろうか。

ローマ共和政の奔流
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ローマはローマ王政が倒れたことによって、
パトリキ(貴族)とプレプス(市民)が前509年ごろより共和政を始めたとされている。
共和政の初期は身分闘争の歴史であり、
公職や神官職の就任は血統貴族であるパトリキに独占されていた。
これらはプレプスの不満をおおいに募らせていた。
パトリキとプレプス間の婚姻は禁止されており、
民衆である農民のほとんどは金が返済できぬと奴隷になるなどして生きていた。
ローマの民会は一票の格差がめざましく、富裕者に有利な世の中でもあった。
元首政の前までは生殺与奪の権利までも主人が備え、
多数の奴隷と外国人によってできていたのがローマの共和政といえるので、
アテナイ民主政との違いをうかがい知ることができる。
またアテナイでは政府高官の悪事を暴くシステムがしっかり機能しており、
この点でもアテナイの民主政を高く評価できると思われる。
またローマはギリシアが哲学や科学、地理などを学ばせるのに対し、
修辞学などで弁論を鍛えることを重んじ、
ローマに多くの学術的遺産が損なわれていることも
これらの点と関与するのではないかという気がした。
ローマで特徴的なのは家父長制である。ローマ市民の柱となるものは父であり、
ファミリアの性格に大きな影響を与えていた。
その結果、女性の存在は奇妙な色合いを帯び始め、女性は不可欠ではあるが、
『女性はファミリアのはじまりであり、終わりである』とも言われている。
また裕福な家庭の子供たちと奴隷の子供たちと同じ学校に通うこともあり、
ローマ市民社会では、市民たちと並んで多くの奴隷の姿がみられ、
すべての人間は奴隷であるか、自由人であるかというガイウスの法学提要も有名である。 
アウグストゥスのために造られた柱廊や公共広場、上水道、図書館など、
市民の憩いの場もたくさん残されているのも事実であり、
また富裕者が贈与するエヴェルジェティズムと言われた記憶の永続化は、
多くの市民を救い、貧しい少年少女の扶養を成人するまで行うなど、
美しいエピソードも数多く残されている。ローマはアテナイと比べて典型的な奴隷社会であり、
カエサルのような僭主的存在も許していた。
いずれにせよ民衆の力は古代から大きく民会に反映され、
権力に負けない声を発していたのも事実である。
このような現代に生きる我々にアテネ民主政とローマ共和政は何を訴えかけるのか、
私はこのレポートを機に真摯に考えることができた。

@@reference: 近藤和彦,西洋世界の歴史,山川出版社,1999,p1-p35,4634645408@@
@@reference: 桜井万里子,世界の歴史5ギリシアとローマ,中央公論社,1997,p122-p162,4122053129@@
@@reference: 島田誠,古代ローマの市民社会,山川出版社,1997,p1-p90,4634340305@@
@@reference: 橋場弦,民主主義の源流,講談社学術文庫,2016,p1-p281,4062923459@@
@@reference: ヘシオドス,仕事と日,岩波文庫,1986,p11-p200,4003210727@@

@@author:きり@@
@@accept:2020-01-05@@
@@category:西洋史@@
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