===================================================================================== 川端康成『浅草紅団』永井荷風『つゆのあとさき』を読んで感じたこと ===================================================================================== 弁士のようなリズム感ある文体 -------------------------------------- 私は川端康成と永井荷風の両方を読んでみた。 活動写真の弁士のようにリズム感ある川端の文章は、今でいうならサディスティックミカバンドの黒船の歌詞のように、 そしてまた誰もが憧れた昭和初期に一気にタイムマシンでひとっ飛びできる。 川端にこれほどの世界観があったとはと驚きつつ、あっというまに引き込まれて、気がついたら私は浅草の町を歩いていた。 底辺に暮らす人々の世界をのぞけば、そこには驚愕と刹那の日々が展開されている。 ざんぎりお弓は私を通して語っている。「私を女にしてよ」と。 生きるか果てるかわからない目をした少女の視線は鋭いようで媚びるに値せず、 相手を射貫くような目つきで浅草を彷徨っていたのだろう。おどろおどろしい世界観がなんともいえない。 永井荷風も同じく昭和初期を描いている。川端が浅草なのに対し、荷風は市ヶ谷、神楽坂のあたりだ。 この目線は誰でもない。ただし女給の君枝を通して女の生き様が描かれている。 君枝は17、8歳で家出し、親の勧める縁談を断り、同級生の京子が私娼をしているのをよしなにこの世界に入った。 ただし京子は芸者だったが、君枝は女給だ。女給とはカフェーの従業婦であり、一部には私娼もいたことから、 今でいうところのホステスが近いとジャパンナレッジは書いている。君枝はとりわけの美人ではないが、 人に訴えるもののある娘で、君枝を抱くと独特な香りと温度で男は痺れてしまうらしい。 君枝は生来の浮気性で常に3人も4人もお得意のお客様がいる。 その中でも新進気鋭の作家、清岡進が君枝にひときわ入れ込んでいて、 君枝が清岡以外の男と浮気をしたことを嗅ぎつけたことから、この物語は始まる。 君枝のもとめたもの --------------------------------------- 君枝には次々と嫌なことばかり起こる。それで占ってもらうあたりで物語が大きく展開する。 その嫌がらせをしたのは、ほかでもない清岡だからだ。清岡には才色兼備な鶴子という内縁の妻もある。 しかし清岡は完璧にすぎる鶴子が面白くない。面白くないのでカフェーや芸者遊びを重ねる。 その二号が君枝なのだ。君枝は世間を騒がせる清岡が恋人であることに得意な様子もない。 何もかも買ってやるぞと言ってもどうも釈然としない。 君枝の部屋は女らしくもなく、下着やブランドものにこだわる様子もない。 君枝はそんな女だった。しかし君枝の味を知った男たちはつい君枝目当てにカフェーへ繰り出してしまうのだ。 こんな魔性の女がいるのだろうと素直に感じた。また君枝が欲しかったものは財産でも妻の座でもない。 では何を求めて君枝は生きていたのだろう? その茫漠としたものは君枝の渇きは何だったのだろう?  男たちは帰る家を大事にする。それでも10時では早い。まだ足が家に向かない。 男たちが家に向くようにするには妻はどうしたらよいのだろう?  君枝はカフェーをやってみたいと言いながらも、真剣なそぶりを清岡と話す場もなく、 いつも表面的なことばかりを取り繕って遊び歩いている。清岡も作家であるのに、その先を追求しようとしない。 1920年代がそういった時代だったのだろうか?  そんなはずはない。いつだって人は存在理由を求めているはずだ。 時代を超えて通ずる魔性の女たち ------------------------------------------- 一人清岡の助手の村岡というものが真面目に手紙を書き付けるシーンがある。 また鶴子の義父(清岡の父)も厳格で筋の通った人だ。 解説の中村真一郎によれば、礼儀正しい優れた女性の顔を残したかったのでは?とある。 前出の川端康成の『浅草紅団』も最後までふらふらしていた。 弓子の毒薬が唯一、訴えかける。女にしてくれないなら飲んじゃうわよと。 弓子は脅かし半分に言っていたけれど、彼女はどんなときも本気だったのだ。 私は現在のノルウェイの森の緑というキャラクターを思い出した。 また私は鶴子と義父の煕の礼節わきまえたエロスも好きだ。 ピンと張った空気の立ちこめる中で、お義父さんに対して甘えられない心情、 内縁の妻という立場、本当ならこんなこともあんなこともしてさしあげたいと思うのに、 できないもどかしさ。そんな大人の切なさが身にしみる。そう。言ってみればみんな子供なのだ。 君枝も清岡も京葉も矢さんも、死んでしまった川島も。生きることが何より苦手でさみしがり屋で、 人が嫌いなのに人のそばにいたい。そんなろくでもない奴らの話なのに、 君枝がタクシーで絡まれたとき、ギョッとした。 私の中にざまあみろという気持ちはなかった。 冗談を言って酒を飲んで男と寝るばかりの女の話なのに、 生きているということを強烈に感じられて、そこが何より感動した。 生きているのだ。一生懸命に。 私も突き飛ばされたってハンディがあったって、笑ってお天道様を拝みたい。 そんなたくましい話だった。 @@reference: 川端康成,浅草紅団,講談社,1996,p1-p310,406196397X@@ @@reference: 永井荷風,つゆのあとさき,岩波書店,1987,p1-p157,4003104145@@ @@author:きり@@ @@accept:2019-12-10@@ @@category:文学@@ @@id:kawabata&kafu@@