========================================== ホットケーキ ========================================== みっちゃんとスイスロール ----------------------------------------- 毎月5の付く日は喫茶店のホットケーキが百円になる。 私とみっちゃんは入院仲間。いつも院内を散歩しながら、 食い意地を張らせて食べ物の話ばかりしている。 私たちには心の病気がある。 薬の副作用でどうしても食欲が出てしまい、満腹感がなかなか得られない。 私には身寄りもなく、頼れる誰もいないから、 いつもみっちゃんのおこぼれを分けてもらう。 今日はスイスロールを一本丸ごと私に食べさせてくれた。 みっちゃんは美人だったのに、すっかり太ってしまい、 大きなお尻をフリフリしながら今日もプラタナスの葉を踏みしめ、散歩していた。 みっちゃんはもちろん痩せたくて歩いているのだけれど、 甘いものに目がないので、一向に痩せる気配はない。 院内には売店もあって、売店のチョコブラウニーは人気なのだが、 午前中にみんな売り切れてしまう。 そんなわけで私たちはコンビニやスーパーに繰りだすのだ。 そのさきのことはわからないもの ------------------------------------------ 朝起きるとみっちゃんといつも1日の献立表をみる。 私たちは夢や希望があまり抱けないから、食事が一番の楽しみなのだ。 お昼ごはんより先の話には誰もが口をつぐんでしまう。 私は家が火事になって、身を寄せる場所もなく、ここに入院することになった。 みっちゃんはお父さんとの関係がうまくいかなくて、家から逃れるように入院してきた。 それでもみっちゃんにお見舞いにくるのはいつも優しそうなお父さんだ。 私に見舞客はいない。私にはまだ外出許可がおりなくて、院内を歩くくらいしかできない。 だからホットケーキの話は夢のまた夢だ。ふわりと焼いた黄色のパンケーキ、私も食べたいな。 四角いバターが溶け出して、飴色のメープルシロップをぐるりとかけて、きっとうまいだろうな。 そんなことを考えると、お腹がぐうと鳴る。 ゆめのホットケーキ ------------------------------ 先日はテレフォンカードが欲しくて玄関付近をうろうろしていたら、 看護師さんに見つかってしまい、あえなく先生から大目玉を食らった。 私はお小遣いも厳重に管理されていて、まるっきり自由はないのだ。 これじゃ犯罪者みたいだよねとみっちゃんに文句を言う。 みっちゃんは同情してくれる。看護師さんの目を盗んで隣駅までメロンパンを買いに行ったり、 ドン・キホーテにココナッツクッキーを買いに行ったりするのは、 まるで思春期の子供並みに興奮する出来事だった。 さて問題のホットケーキ。私は食べられるかな? 運試しと思って、みっちゃんと街に繰り出した。 駅まで歩いて7分。目指す喫茶店は駅の中にある。 今日は私の主治医は別の病院に行っているし、担当看護師も休暇中だ。 私なりに念入りな計画を練ってのホットケーキだもの。 この計画、成功させてみせるぞ! 思わぬハプニング ------------------------------ みっちゃんといそいそと駅に向かう。 無事、喫茶店にたどり着いて、百円のホットケーキを注文する。 外でアイスコーヒーを飲むのはどれくらいぶりだろう。 院内のお茶は院内で茶葉を作っていることもあって、劇的にまずいのだ。 もう舌が麻痺してしまいそう。それだけにアイスコーヒーのうまさが身に沁みるのだった。 憧れのホットケーキに食らいつこうとした途端、呼び止められた。 恐る恐る振り向くと婦長がいるではないか! 私はなんて運がないのだろう。うなだれてしまった。 婦長さんはここでは笑顔だったが、おそらく主治医にも申し送るだろうし、、 私はまたしても大目玉を食らうだろう。「せっかくだもの、食べて行きなさい」と言ってくれるが、 「あなたは外出許可出てないわよね?」とくぎを刺す。私ははいと頷く。 もう30も過ぎて、駅までも外出できないなんて情けないったらない。 私だってホットケーキがどうしても食べたかったんです。ごめんなさい。 私はそう言ったが思いがけず泣いてしまった。 みっちゃんがティッシュとハンカチを差し出す。私はチーンと鼻をかんで、 しおらしく婦長に頭を下げる。もうどうやって病院に帰ったか思い出せない。 どんなに叱られるだろうかと気が気ではなかった。 ゆめののち -------------------------- 私はこの病院に春から秋まで入院した。 大好きなみっちゃんは私よりも症状が重く、簡単に退院できないのだそうだ。 だんだん喋り方もおかしくなってきて、最後はただ手を繋いで散歩するのがやっとだった。 私は激貧だったし、人生において一番苦労した時期だけれど、 あのホットケーキの味は忘れられない。いつもより頭がこじれた状態にあったし、 心も平らではなかったから、肝試しのようなホットケーキが忘れられないのだ。 もちろん大目玉を食らって、3週間病棟に缶詰になったけれどね。 心が平らじゃない大切な時期に出会った仲間たち。 売店で売春している噂は本当だったのかな?怖かったなぁ。 今は笑って夫に話す。あれ以上にうまいホットケーキには出会えないと思うのって話すと、 夫がフライパンでホットケーキを作ってくれた。 甘くて切なくて幸せで、こうして生きていることに涙が出た。 @@author:きり@@ @@accept:2019-12-11@@ @@category:小説@@ @@id:pancake@@