物理のかぎしっぽ 査読/素朴理論 v.s. 物理×精神分析×仏教(僧/龍之介著)/4

善因善果悪因悪果

メッセージ

先の査読レポートに書きました、気になった点その3についてです。記事の最後が仏教で終わっているのが大変気になったので、記事の目的を伺います。

*もしも、話の流れがあくまで現代物理にあり、ちょっと面白い視点を与える視野として仏教の世界観を紹介するだけならば、それは我々の物理観を敷衍してくれるものですので良いと思います。興味深いです。

*もしも、物理の話を踏み台として、そこから仏教の世界に話を持っていこうというのなら、それは結局、宗教への勧誘、もしくは、単に宗教について語っているだけになってしまいますので、不適当かと思います。

*もしも仏教的視点から現代物理を斬る、みたいな話を広げていくのなら、仏教界ではそういうアプローチが確立しているのか、それとも龍之介さんの個人的主張なのかを明記すべきだと思います。また、個人的主張ならば、ここのサイトでは不適当な記事かと思います。

また、いきなりラカンの名前が出てきましたが、物理とラカンと仏教の関係もますます不明瞭です。トラウマという言葉を巡って出てきたのでしょうが、私には最後の章の議論についていかれません。というのは、そこまでは素朴理論について話が進んでいたのに、最後の章で一気に、素朴理論→トラウマ→仏教と、話の「スライド」が起こっているからです。一読しただけですが、話をスライドさせるための中間点として、ラカンというビッグネームを出してきただけだという感想を持ちました。

記述内容自体はそれほど怪しくないと思いますが、記事全体の目的を、もう一度教えてください。お願いします。

返答

  • 申し訳ないのですが、私がこの記事を作成した意図を正直に申させていただきます。中学時代の友人に誘われ、このプロジェクトが面白そうだと思い参加させていただいたのですが、何もせず何も書かない状態が長く続いていました。最近気持ち的に書く余裕ができたので、自分が書けそうな範囲で書こうと思いましたところ、このような記事になった次第です。そのためもあり私の意図は物理の周辺を巡って面白いものが書ければ良いなという程度の不明確なものであり、質問されましても、正直なところ明確な返答ができません。 ;  「話のスライド」という印象につきましては、第一に、基本的な議論はラカン派の理論を応用して行いましたので(これも本文に明記すべきでしたが)ラカンは中間点というよりむしろ、議論の骨子をなしています。第二に、素朴理論に対置できるものとして、他の3つ(物理、分析、仏教)を並べただけで、少なくとも意図としては仏教へとスライドさせるつもりはありませんでした。その印象を醸し出してしまった理由としては、拙速に閉じて次で詳説すれば良いとしてしまっていたことがあげられると思います。しかし実際のところ、原始仏教における認識論と量子論の認識論は(私は素人ながら)かなり近いところがあるのは事実だと思います(調べたわけではないですが、そういうことを言う人は沢山いそうです)。そのつど波動関数が崩壊して、いわゆる「現実」が成立しているという、シュレディンガーの猫的な発想は、仏教における現実の構成論と同じです。 ; 最後に、宗教への勧誘という観点ですが、特定の信仰は放棄すべきだと本文で書いていますように、そのような意図はなかったことは明記しておきます。 ; 以上で、お答えになりましたでしょうか・・・。 -- 龍之介 2005-08-30 (火) 18:28:28
  • やはり物理とラカンと仏教を、並べて書く意図が分かりません。この記事の目的は単なる比較にあるのですか?また、これらに共通点があるというのは、龍之介さん独自の観点なんでしょうか。 -- Joh 2005-09-01 (木) 05:02:41
  • 意図が分からないということであれば、私の力量が足りないのか、端的に間違っているかどちらかなのでしょう。これらに共通点を見るのは、私の観点です。 -- 龍之介 2005-09-01 (木) 15:09:20

 
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