物理のかぎしっぽ 記事ソース/当たりくじ

記事ソース/当たりくじ

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記事ソースの内容

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当たりくじ
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くじびき
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私には遺伝子疾患がある。この病気の説明を受けたとき、
六人もの先生方はそれぞれにくじに当たったようなものだと表現した。
日本に数百人しかいない希少疾患で、年間を通して元気に布団から起きていられることは限りなく少ない。
だからプラスのイメージはちっとも湧かないのだけれど、
当たりくじという言葉を聞いて私は胸にストンと落ちるものがあった。
子供のころからこの謎の病気に悩まされ、
病名が分かったのは四十も過ぎてからのこと。
それでもひねくれずに腐らずにこうして生きてこられたのは、
ひとえに夫のおかげだと思っている。私にだっていいこともあった。
中学では音楽学校に進めたし、少しだけ芸能界で仕事をしたこともある。
でも私にとって一番の勲章は病名だったのかもしれない。だから当たりくじなのだ。
自分の病気がなんだか分からないことくらい嫌なものはない。
血液検査をしてもレントゲンを撮っても医者は首を傾げるばかり。
何もかも精神的なものだと言われたし、正直、私の性根はぐにゃりと曲がりきったのだと思う。
母にもつらく当たったし、恋人にもひどい思いをさせた。
考えてもみて!まともにデートも出来ない恋人なんて何の価値があるの?
私はこの存在価値と存在理由を武器にいつも自殺願望を正当化しようとした。
病気を盾にしている間は私にはラックなど訪れなかった。
そうして一人去り二人去り、私は空っぽの人生になってしまっていた。

烙印を押されて
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そんな私がどうにか結婚して再び人生を歩みだしたとき、
私は自分にできることは精一杯頑張ると決めた。
投げ出したりしないで諦めないで希望を持とうということだ。
結婚当初は貧乏だったし、ものを書く余裕もツールも持ち合わせなかったけれども、
石の上にも三年。私たちはようやく人並みの暮らしを手に入れた。
公営団地が当たったのだ。子供のころに夢見た幸せとはだいぶ違うけれど人生とはそんなものかもしれない。
人と比べたら私なんかぺしゃんこになってしまう。
それでも私が生きていても良い理由が夫と一緒にいるとたくさん見いだせた。
莫大な医療費も何年かのち、指定難病になりようやく家計も楽になった。
生きることもあきらめて車いすにしがみついていたのに、今は年に一度、海外旅行にも行ける。
夫との結婚が当たりくじだったのか私の病気が当たりくじだったのか、あまり考えないようにしている。
年を取るというのはゆっくりものを考えるようになる。
そして白黒はっきりつけなくてもいいかなと思うようになる。

スローライフでいいじゃない
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そんなスローライフの自分が今は気に入っている。本当はこうだったのにとか、昔はあんなだったのにとか、
過去にとらわれた私もいたのだけれど、病気の烙印を押されてからあきらめも良くなったように思う。
何をあんなに悲しんでいたのだろう。若い時にたくさん涙をこぼした経験は私の頬に深い皺を刻んだ。
今生きているということは生き残ったのだ。私は大きくなれたしちゃんと成長も出来た。
多少いびつなところがあってもアンダーパーにしようと思う。
今日私が出来たことは一人でお風呂に入れたこと。一人で昼食を食べられたこと。
コンピュータの電源を入れて原稿を書いたこと。そのほか夜までにきっと洗濯物を畳むだろう。
夜にはきっとお米を研ぐだろう。そしてボリス・ヴィアンの続きを読んで図書館に本の予約をするだろう。
そうそう。麻酔科の予約の電話も出来た。
食事の支度や掃除はもうできないけれども自分のやったことを箇条書きにすると少し自信が持てる。
世の中の役に立つとかではなく、私は夫や母のためにもまだまだ長生きしなくてはならないから。
傲慢なのではない。私が一日微笑むことで夫はがぜん頑張ってくれるし、
私が日に一度の電話をかけることで母は孤独から解放される。

私がいた世界いなきゃいけない世界
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「素晴らしき哉人生」のように自分がいるかいないかの世界を味わったら、
きっともっと自分を大切にできるだろう。私にとってものを書けることは至福の歓びである。
うまく書けなくとも自分の考えを言葉に紡ぐのは痛みやつらさも忘れて時間を飛び越してしまう。
生きることを決して諦めない姿をもっと書き綴って残していきたい。
私の病名はね。家族性地中海熱と言います。地中海に多い病気なのです。
だから生涯のうちにきっと地中海に行ってみせます。青い海、新鮮な海の幸。
そんなものに囲まれたら病気なんて忘れてしまいそう。私ははずれくじを引いたんじゃない。
そう言い聞かせるうちに私もなんだか信じ込んでしまった。
生きることに前向きにあり続けることは容易くはないけれど、私は希望だけで生きていける。
そんな単純な人間なのです。素直さは宝。そんな宝を大事にしたい。

@@author:きり@@
@@accept:2019-12-12@@
@@category:小説@@
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