物理のかぎしっぽ 記事ソース/記紀歌謡と万葉集の比較

記事ソース/記紀歌謡と万葉集の比較

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記事ソースの内容

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記紀歌謡と万葉集の比較
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記紀歌謡とは
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記紀歌謡とは古事記および日本書紀に収められている歌謡の総称であり、
個人の抒情詩として作られたものもあるが、
中心となるのはある場所に関して奉仕的な機能を持つ歌謡であったらしい。
主に国見や歌垣、大嘗会、酒宴関係の歌謡ほか宮廷儀礼に関するものを指す。
古事記が約112首、日本書紀が約128首あり、
この時代の歌は音楽が詩に属しており現代のように歌詞は忘れたが
メロディーは覚えているというものとは逆の現象を占めている。
記紀歌謡時代は楽器が使われてもことばについていく程度の低い水準であったらしく、
当時の中国のような和声や高い水準の音楽には成り得ていなかったようだ。
記紀歌謡の本質はことばのリズムにあるので現代で言うのならラップなどの韻を踏んだ音楽の元祖と言えるのかもしれない。

万葉集歌とは
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歌体は長唄、短歌、旋頭歌、片歌があるが長歌には定型長歌になっていないものが多く、
この点でも万葉集以前の段階と言えるだろう。
いっぽう万葉集歌とは古代の和歌集であり20巻からなる。
歌体は長歌、短歌、旋頭歌など実に4500点にのぼる。
編者は不明だが大伴家持の手を経ているらしい。
平安時代前期から奈良時代末期に成立した主な歌人として額田王や柿本人麻呂、
高市黒人、山部赤人、大伴旅人、山上憶良、大伴坂上郎女などがいる。
皇族や貴族、官僚歌人のほかに農民などの歌もあり日本最大の古典として現代まで広く親しまれている。
記紀歌謡と違って農民や遊女など作者不詳の歌も多い。

ふたつの相違点
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これら二つの違いとして抒情詩は万葉時代になってから発生したと考えていいと思う。
抒情詩は個人の喜怒哀楽や憧れや苦しみを小宇宙として表す文学であり、
多くの国で抒情詩は古代の貴族階級に発生した。
それには貴族は生産といったことから離れて閑雅を享受した最初の階級であり、
自我や感受性を種として怠惰で懈怠な毎日から発生したのではと私は思う。
いっぽう記紀歌謡には女の白い腕を大根に見立てた歌などあり、
農村風の祭式歌謡の面影が生き残っていたりする。
詩と音楽と踊りが分かれていなかった証拠である。
記紀歌謡に多かった性的な歌は本流でなくなり、
万葉集では叙景歌や四季の歌などが目立ってくる。
また恋の歌も「寝る」という行為の代わりに心の内に思うことが主流となってくる。
記紀歌謡も万葉集も基本的には貴族文学なのだろうか?という疑問を私は抱いた。
ちなみに5・7の歌のリズムは日本語の特色に根ざしたものではなく、
踊りの足取りから来ているらしい。

万葉集は9割以上が短歌形式であるのに対し、
記紀歌謡は5・7のリズムのほかに4・6のリズムなどがあり、
歌体のバリエーションに富んでいたとも、まだリズムが決まっていなかったともいえる。
(短歌半数、片歌7/10、6句体2/3、長歌32/33)
また記紀歌謡は歌詞が二句ずつ分かれているものが多い。
特色として古事記は日本国内向け、日本書紀は国外向けに編纂されたため、
歌を詠んだ作者の多くは国を動かすような神、
またはその子孫の天皇などで歌わなければその人物は伝説にならないとされてきた。
記紀歌謡は音楽の旋律には従属していないが、その特徴として踊りと密接に結びついていた。
詩と音楽と踊りという三位一体の古い姿が生きており、
我が古代の詩形式の問題を考察するにあたっても一つの手がかりとなろう。
記紀歌謡には性を描いた恋愛歌が多いが、大嘗祭や饗宴など宴は物忌み、
禁欲の解けるときでありそういった因縁からタブーである
近親相姦や情事の歌が多いのではないかと考察されている。

万葉集歌の本質
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万葉は庶民の歌である東歌、防人歌のほかに中心となる宮廷生活の歌からなっている。
また序詞を作ることによってわかりやすくしており、
序詞は天皇や都が土地の伝承を変えてしまうほどの権威を持っていたことに思いいたる。
地名を呼び起こす序詞はそういう伝承を基盤に成立する。
また伝承ではなくその場で詞章をつくっている。都の成立によって言葉も土地の固有性から離れられた。
そしてこのように新たに序詞を作ろうとしていることは、
地方の固有性をとらえ直し、世界を秩序づけ直そうとしている。
これが万葉集の歌を基本的に支えている立場であり、やはり万葉集は宮廷文学なのである。

まとめにかえて
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記紀歌謡には地方の風俗歌(民謡)が取り込まれている。
久米歌なども饗宴歌であり戦闘歌であり、歌や舞踏における強いリズムであったというのも興味深い。
万葉集はさまざまな人が詠んだが、記紀歌謡は高い身分の人しか詠まなかったのだろう。
民衆は生産に追われていてあまり文学に触れられなかったのかという疑問が私には残った。
また天皇も今のような象徴としての存在ではなく、もっと社会に密接に結びついていたようで、
それでも現在でも歌詠みを天皇は続けられているので、当時からの風習が残ったものなのだろう。
古典の面白さを知ることで、現代の言葉がいきてくる。
わたしたちは今を生きるならば、古典をおろそかにはできない。
何事にもルーツがあることを知らされた。


@@reference: 古橋信孝,古代和歌の発生―歌の呪性と様式,東京大学出版会,1988,p1-p310,4130800558@@
@@reference: 西條 勉,七五調のアジア―音数律からみる日本短歌とアジアの歌,大修館書店,2011,p1-p282,4469222135@@
@@author:きり@@
@@accept:2019-12-10@@
@@category:文学@@
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