物理のかぎしっぽ 記事ソース/ティコ・ブラーエとケプラー

記事ソース/ティコ・ブラーエとケプラー

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記事ソースの内容

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ティコ・ブラーエとケプラー
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占星術,この占い方法にいったいなんの根拠があるのかという疑問をもった占星術師がいました.ドイツの学者ヨハネス・ケプラー,後にその師となるティコ・ブラーエです.天体の運行から人間に関わる現象を予言できるとするならば,変な形式ばかりの占いをするのではなく,もっと天体の運動を深くみつめてその奥にある法則を知る必要があるのではないかと考えたのです.

彼らの研究以前にも,一応天体の運行表はありました.しかしそれがいいかげんだったので,デンマークの占星家ティコはもっと精度の高い運行表をつくろうとしていました.大がかりな天文台をデンマーク王につくってもらい,かつてない精度で観測を続けました.当時,望遠鏡のない時代で最高精度の観測結果であり,ティコは空気の屈折により星の位置がわずかにずれることも知っていたと言います.

しかし他にも占星術師はいたわけで,わざわざ膨大な予算を費してそのような研究をする意味があるのか,という理由でティコは煙たがられていました.ティコはティコで頑固な性格だったそうで,意見が衝突し,結局彼はデンマークを去ることになります.そして移った先が,神聖ローマ帝国のあのちょっと変な皇帝,ルドルフ2世の研究所でした.

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ティコの名声を風の噂で聞いたケプラーは,弟子入りするため故郷からティコのもとへ行っています.思惑通りティコに弟子入りしたケプラーはしだいに師匠ティコから大きな信頼を得,ティコの死後に彼の16年に渡って観測した貴重なデータを受け継ぐことになります.この二人のめぐり合わせによってケプラーの3法則の発見,さらにはニュートン力学へと発展したのですから,星のもとに導かれた出会いだった,と言ってもいいかもしれませんね.

ケプラーがティコから貰ったデータは,数式処理されていない生の観測値でした.ティコは観測技術には優れていたものの,数学の腕はあまりなかったそうです.一方,それを受け継いだケプラーは,データから起動計算をする処理が得意でした.そいうわけで,ケプラーはまず精密な惑星軌道を求めることからはじめました.プトレマイオスの天動説,コペルニクスの地動説で惑星の運動は一通り説明できていたはずでしたが,ティコの精密な観測データから算出された軌道だとこれら二つの説は合わないことが分かりました.特に火星の軌道は実測値との違いが大きく,これまでの説を修正する作業が必要になったのです.

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天動説と比べて,コペルニクスの地動説は単に「より簡単に説明できる」という意味のみを持っていました.しかし後にケプラーが火星軌道の計算から発見する三つの法則,そしてニュートンの発見する万有引力の法則と運動の法則によって,地動説は単に視点を変えてみやすくするだけのものではなく,「地球は動いている」と断言できる理論へと認識を変えました.

それは一体どういうことなのか,ケプラーの法則からみて行きます( `ケプラーの3法則 <http://www12.plala.or.jp/ksp/mechanics/kepler/>`_ へつづく).


@@author:崎間@@
@@accept:2004-06-11@@
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